時と場所で変化する「常識」

自分では常識と思っていた事が普段生活をしている地域から少し離れた所に行くと通用しないという事があります。また、世代間によっても常識とされている事が通用しない事もあります。

地域間の事は「土地柄」とも言われるし、世代間の事は「世代間ギャップ」とも言われます。



ネット上で「とある園児に何度注意をしてもトイレを使い終わった後にウンチを流さないので困っている」というコラムを読んだことがあるのですが、園児は全く悪びれる様子もないため指導をどのようにすれば良いか悩んでいるとの先生の悩みを諭す内容でした。

自分の世代からすればトイレを使い終わった後に水を流すのは「常識」のように思えます。子供の頃にさかのぼれば、地域によっては汲み取り式のいわゆるポットン便所も多くあった時代ですので、水洗式のトイレの使い方が分からず手で操作するハンドルを足で踏んづけて水を流していた方も多くいたと思います。


この園児の場合は生まれた時から水洗式のトイレがある環境で育っているにも関わらず、なぜトイレを使い終わった後に水を流さなかったのでしょうか?



ある日この園児は先生に「どうして幼稚園のトイレはお水が流れないの?」と聞いてきたそうです。トイレの水はちゃんと流れるし何をこの子は言っているんだろうと先生はしばらく意味が分からなかったそうですが、これこそが常識の世代間ギャップだった訳です。


この園児の自宅には水洗式のトイレがありますが、自動洗浄機能がついていました。トイレを済ませて立ち上がれば勝手に水が流れるので、トイレを使い終わった後にハンドルやレバーなどを操作して水を流すという事を園児は知らなかっただけなのです。

園児からすれば「トイレを使い終われば水は自動で流れるもの」であって、先生からすれば「トイレを使い終わったら水は自分で流すもの」がそれぞれの「常識」だったため、その認識の違いからすれ違いが起きており子供の育った環境の事を充分考えた上で指導をしていかなければいけませんよというアドバイスでコラムが締めくくられていました。



社会で一般的に言われる「最近の若い人には常識が無い」という言葉がありますが、場所や時代によって「常識」は変化するものだと認識できる方なら安易にこんな言い方はできないなって事はお分かり頂けるかと思います。

自分が生まれ育ってきた場所や時代の「常識」は同じ世代間の同じ地域で育った方にしか通用しない、極めて限られた範囲での知識でしか無いのです。

逆に言えば場所や時間の変化を受けない普遍的な事柄など、一定の社会通念上の価値観や知識などを有していて当たり前の事は「常識」と言えるでしょう。



自分の世代からすれば電話を掛ける時にダイヤルを回すという行為は当たり前の事でしたが、現在はダイヤルを回す電話機そのものをまず見かけません。「ダイヤルを回す」とか「テレビのチャンネルを回す」のは自分の世代間では「常識」ではありましたが、現在は「番号を押す」「リモコンを押す」に変化しています。

何気ない会話の中で同じ世代の方に「見たいテレビ番組が重なってしまってチャンネルを回し回し見ていた」と話しても通じると思いますが、生まれた時からテレビはリモコンで操作する時代に育った若い世代の方には何の話か分からないかも知れません。

関西で生まれ育った方が「土曜の昼といえば吉本新喜劇だよね」って話をされていたのを覚えていますが、関西ではそれが「常識」でも関東などでは何のことかサッパリ伝わりません。


このように「常識」とは生まれ育った地域や時代によって異なる部分が生じてしまうものなのです。



知人に事あるごとに口癖のように「そんなの常識だろ」という方がいて、とても気になっていたので「常識」の「非常識」な一面について書いてみました。

「常識」と言うと難しく感じるかも知れませんが「自分にとっては当たり前の事」と置き換えてみると分かりやすいかも知れません。当たり前だと思っている事が人によっては当たり前ではない事がたくさんあります。

誰かと接する時に「常識」や「当たり前の事」に囚われすぎてしまうと必ず違和感や認識の違いが出てきます。そんな時は相手の生まれ育った地域や環境・時代の事なども考えてあげると話がスムーズにできたり相手の事を理解してあげられたりするかも知れません。



「自分の周りや世の中には非常識な人間が多い」そう思っているあなたが実は「非常識」な人なのかも知れませんよ。
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