中でもノーベル平和賞は近年とても批判される事が多く、権威の政治的利用だとの声も少なくありません。
平和賞を巡って争いが起きるようではノーベルさんも悲しんでいる事でしょう。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に広島市へ実戦で使われた世界最初の核兵器である原子爆弾が投下されました。
当時約35万人いた広島市民のうち約14万人が一瞬で亡くなったと言われています。
戦争は人が起こすものであり、災害ではありません。そして、戦争は多くの罪の無い人の命を奪います。
戦争は人の力で防ぐ事ができるものであり、防ぐ責任があります。
では、未だに戦争が途絶える事が無いのはなぜでしょう?
人々は飢えをしのぐためにわずかな食料を奪い合って殺しあいます。
暮らしを豊かにし国力を誇示したいがために、くだらない領土争いでも殺しあいます。
疑心がいつしか恐怖を呼び寄せ、互いに殺戮を繰り返す。
つまり、心と言う不完全なものが疑いを生み出し都合のよい解釈をするからなのだと思います。
恐ろしい事に、人の心が不完全ゆえに過去の過ちはすぐに忘れてしまいます。
そればかりか、その経験から貴重な体験を汲み取る事がいつまで経ってもできません。
しかし、人は知恵と勇気と心を強く持てば正しい道に進む事も可能です。
我々はそれを怠り、忘れ、何もしなくなっているだけに過ぎません。
我々がしなければならない事・・・それは、1人1人が平和に対しての責任を持つ事なのだと思います。
多くの議論を巻き起こした安保関連法案。
その実効性は定かではありませんが、成立したからには戦争の抑止力となる事を願っています。
平和ボケし過ぎるのも良くない事ですが、平和を脅かす事は絶対にあってはなりません。
なぜなら、1人1人に平等に与えられた幸せになる権利は、国家でも親兄弟であっても侵す事ができない尊いものだからです。
学校や職場でのイジメが無くならないのも、戦争が無くならないのも同じ事なのかも知れません。
1人1人が知恵と勇気と心を強く持てなければ、道を踏み外すのは容易い事なのだと思います。
平和とは遠い所にある言葉のように感じてしまうかも知れませんが、実は身近にある言葉。
自分の発する言葉や行動に責任を持てる人になりたいですね。